誰でもハマれるお手軽趣味を公開

みんなが簡単にハマれる趣味を随時紹介していきます。

うどんは空海によって全国に伝えられたってホント?

高野山の開祖、空海遣唐使密教を学んで日本に帰ってきてから数々の功績がありますが、うどんを伝えたのも空海という説があります。生まれが讃岐ということもあって、地元では定説のようです。香川の人たちのうどん愛などを含めて調べてみました。

 

空海にまつわる伝説はいろいろ

空海

空海、またの名は弘法大師、奈良・平安時代の高僧ですね。
讃岐国、今の香川県に774年に地方豪族の家に生まれた空海は、幼いころから聡明でエリート街道まっしぐらだったのですが、20歳ごろに仏教の素晴らしさに魅了されて一転仏教界に進むことになったのです。
空海にはいろいろな功績や伝説などがありますが、仏教の研究や数々の修行をへた30歳のころに遣唐使として唐に渡ったことが大きな転機だったようです。

唐では当時の最先端だった密教を学ぶのですが、これをたったの2年で完璧にマスターしてしまって日本に戻ります。当初は20年間の勉強期間が前提だったので、あまりに早すぎるということで京に行くことを許されず、大宰府に留められたという話です。
その後は、真言宗を開いての布教活動などの功績が認められて、816年には嵯峨天皇から高野山を贈られ、そこに修行の場、金剛峯寺を創建します。

空海仏教の他に、農業や土木の技術なども日本に持ち帰りました。
空海弘法大師の伝説、伝承は日本各地に5000以上あると言われています。
あまりに多い数なので真偽のほどは解りませんが、空海の幅広い分野での活躍と空海への尊崇の念が、伝説などを形づくっているのでしょう。
空海にまつわる伝説は、寺院の建立や仏像などの彫刻、あるいは聖水、温泉、岩石、動植物など多岐にわたります。
実は、「うどん」も空海が中国から持ち帰ったものと言われています。

讃岐うどんの原点は空海から?

空海うどん

うどんは空海が唐から持ち帰り、讃岐の地に伝え、広めたという話があります。
空海が唐から帰ったのは806年。麺の伝来についてはそれ以前の奈良時代に中国から渡来したということが、古文書に書かれているそうです。麺にもいろいろあるでしょうが、空海が唐から帰国して15年間は故郷の讃岐を訪れていないことが、讃岐うどん空海説の最大の弱点と言われています。
空海がうどんを伝えたという説は確かな文献もなく、今のところ「こんとん」とした状況になっています。

「うどん」という言葉の由来ですが、中国から伝来した唐菓子の一種の「こんとん」というものからだそうです。「こんとん」というのは、小麦粉を加工して作られたあん入りの団子のようなもので、やがてこの「こんとん」を温かい汁に入れて食べるようになって「温飩(おんとん)」と呼ばれるようになります。この「おんとん」が転じて「うんとん」、やがて「うどん」になったと言われています。
現在でも、讃岐地方のお雑煮は甘い汁にあん入りの団子のような物を入れて食べる風習が残っているということです。

金刀比羅詣でで讃岐うどんは全国へ

金毘羅さん参道

讃岐の地には古くから信仰の地となっている金刀比羅宮があります。「こんぴらさん」ですね。
この「こんぴら詣り」が盛んになって全国に広まったのは江戸時代からと言われています。当時は庶民が旅をすることは禁じられていたのですが、金刀比羅宮伊勢神宮を始めとした社寺への参拝の旅は許されていました。金刀比羅宮も「一生に一度はお参りしたい場所」として、江戸時代の人たちの憧れのまとになっていました。
農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など、さまざまな神徳を持つ神様として、現在も厚い信仰を集めています。

讃岐うどんが全国に知れ渡るようになったのも、この「こんぴら詣り」が盛んになった江戸時代からと言われています。
今から約300年前に描かれた、金毘羅宮で催される例大祭の絵図の中に3軒のうどん屋が描かれています。うどん屋が描かれている絵としては、日本最古の絵と言われていますが、そこには、手打ち作業、包丁切り、客を呼び込んでいる姿などが描かれています。
このこんぴら詣りに来た人たちが、門前町で食べた讃岐うどんの美味しさを国元に帰って話し、全国に知られるようになったものと言われています。

うどん店「空海」も各地で

麺匠 空海

無病息災、家内安全、厄よけ等の成就を願って四国八十八ヶ所霊場を巡拝しているお遍路も、空海の足跡をたどるもので、香川県空海とは深い関係で結ばれています。
空海、くうかい、空海房、遍路、八十八庵(やそば庵)、弘法庵など、香川県には空海にちなんだうどん店が数多くあって、東京や京都などの他、各地にもこのような名前のうどん店が点在しています。

香川県に数多くあるうどん店のなかで、名店と言われて行列ができるようなお店の多くは、製麺所の軒先でうどんが食べられるような形になっています。うどん玉を買うついでにちょっと食べさせてもらうという風習なんだろうと思います。こういう名店は、いわゆる商店街とはかけ離れた民家のなかや、あるいは田んぼの中などにあったりします。
香川県では、各家庭でうどんは作られ日常的に食べられていました。いろいろな所にうどんの名店が点在しているのも、最も身近で密着した食べ物としてうどんが愛されていることの証拠かもしれません。

全国のうどん店舗数は約24000軒あるといいます(NTTハローページのデータによる)。お蕎麦屋さんとほぼ同数です。
香川県には約900店舗、人口10万人あたりで63.96軒で日本一です。全国平均は18.88軒ですから、平均の3倍以上の店舗数です。ちなみに2位以下は群馬、福井、山梨、栃木と続きます。
香川県の人たちのうどん愛が、データにも表れていますね。

空海 うどん」 まとめ

空海高野山の開祖の他、全国に数多くの伝説、伝承を残している奈良・平安時代の高僧です。
讃岐の生まれで、うどんは空海遣唐使として中国から持ち帰ったものという説がありますが、確かな文献などでの記載もなく疑問視されています。
江戸時代になって讃岐のこんぴら詣でで、讃岐うどんの美味しさが全国に伝わり、広まったと言われています。今、うどんは全国各地で身近な食べ物として愛されていますが、香川県の人たちのうどん愛は全国一のうどん店舗数にも表れているように特別のもののようです。
空海の時代から1200年余、うどんを食べるとき、その時代に思いを馳せてみるのも良いでしょうね。