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【速報】豊臣秀吉の子供は秀頼だけじゃなかった!?

歴史

戦国時代にそこまで興味がない人でも、豊臣秀吉という人となりについては多少なりとも知っているでしょう。学校のテストにも出る人なので、知らない人がいない超有名人です。しかし、子供については秀頼以外そこまで知られていないのです。今回は豊臣秀吉の子供について調べます。

 

有名人の子供が有名とは限らないが…

歴史上の偉人が活躍する時代で、最も大好きな時代と問われた場合、多くの方が「戦国時代」や「幕末」と答えると思います。この時代の人たちは、皆さんが惹かれる武将や英雄がたくさんいるので、多くの方々が魅力に感じる誰かかしらが間違いなくいるのです。

その中でも多くの方々に愛されて、史上最大の成り上がりの象徴とも言われているのが豊臣秀吉であり沢山のエピソードや伝説を大量に残しております。しかし、息子や娘の話になると一気にトーンダウンしてしまうことになるのです。そこで、今回は豊臣秀吉の子供について深く探求します。

豊臣秀吉は秀頼以外子供がいない?

豊臣秀吉

織田信長徳川家康は子供のエピソードもたくさんあるのですが、豊臣秀吉は子供のエピソードが非常に少なく、そもそもの子供の数がとてつもなく少ないのです。秀吉と正室のおねとのエピソードはたくさんあり、夫婦仲良しの心温まるものも多いのですが、それ以外の欠点のようなものをさらすシーンがたくさんあります。

その酷いところの筆頭が、大の女好きというものでしょう。その女好きの性もあり側室や正室も含めると約20人はいると言われており、一説には50人はいるのではないかとすら言われているのです。

しかし、はっきりと子供として名前が残っているのは早世する鶴松と秀頼の二人です。少なすぎます。また、この子供がいないという説を後押しするかのようなエピソードが沢山あるのです。


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豊臣秀吉とおねや甲斐姫の子供は無し

大阪城

まず正室である北政所、おねや甲斐姫といった側室たちと子供が一切できておりません。そのため、多くの方々から豊臣秀吉が子供が少ない理由は種無しだったからだと言われているのです。

このことを後押しするかのように賤ヶ岳の戦いで敵側にいた京極高次の姉妹である竜子を強引に側室にしたけど子供をもうけることができませんでした。この竜子は秀吉の側室になる前は3人も子供をもうけていて、この人が妊娠できない体であるとは思えません。

他にも自分の側室を取引材料として伊達政宗の家臣に与えましたが、そちらの女性も秀吉との間には子供ができなかったのに、伊達家にて子供を設けることに成功しているのです。

このような明らかになっている情報からも秀吉は種無しであり、自分で子供を作る能力が一切なかったと多くの歴史探究家から指摘されるようになりました。こうなると大問題になります。つまり、淀殿が膿んだ子供はいったい誰の子供なのかということです。

豊臣秀吉の子供は0人だった?

豊臣秀吉 家系図

家系図を調べると豊臣秀吉の子供は出てくると思いますが、それらはほとんど養子であり実子ではありません。実子は鶴松と秀頼だけです。これは歴史をちょっとでも知っている方ならすぐに知ることができる事実となっているのですが、不思議ですよね。

この秀頼と鶴松の父親として最も有力と言われているのが大野治長です。この大野治長と淀姫の中について解説すると、幼い頃、つまり茶々姫と呼ばれていた頃にまで話が遡ります。茶々を世話していた乳母が大野治長の母親であり、乳兄弟であるこの二人は非常に仲が良く簡単に会える関係だと後世に伝わっているのです。

実際に、この乳母の力によって直接会える大野治長は最も秀頼や鶴松の父親説として有力となっている男で、そう考えると秀吉は実子ではない子供を愛してすべてを託して世を去ってしまったということになります。

ちなみに、この大野治長大阪夏の陣で母親と一緒に殉死しておりこの深い忠誠心も父親説を後押しする要因となっているのです。それ以外の説としては石田三成といったものもありますが、そこまで有力なものではないので気にする必要はないでしょう。

晩年の秀吉が荒れ狂った原因は淀君

天下人となった後の秀吉のことを好意的に見ている人はそこまで多くありません。特に朝鮮出兵といった部分はいまだに多くの方が議論をしており、織田信長が目指した天竺にたどり着くためにひたすら猛進し続けた結果という言葉すらあります。

秀吉は、朝鮮出兵後に大阪城にいたたくさんの女房を追放や処刑をして強引に秀頼に受け継がせようとしましたし、裏切り行為を感じた人間をひたすら潰していきました。この粛清対象の中に淀君が入っていたという説があり、今でいうところに不倫、不貞行為に気が付いていたという噂もあります。

例え、その裏切り行為に気が付いていたとしても、豊臣秀吉織田信長を崇拝しており、その妹の娘を処刑することはできなかったのでしょう。対外的に、秀吉と信長の血を継ぐものという認識が世間に広まれば多くの方が認めると考えるのはおかしいものではないはずです。

豊臣秀吉とその子供について

豊臣秀吉が大好きな人は日本にたくさんいますが、子供についてはいまだ確定情報が無くひたすら議論がぶつかっている最中です。しかし、豊臣秀吉が種無しであり子を作る能力が無かったという説は有力だと思っております。

もし、豊臣秀吉にも大勢の子供がいたのなら、未来は大きく変わっていたのではないでしょうか。そう考えると歴史ロマンを感じますよね。


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